TVディレクターJ の半生メモ

己の半生を思い出してみた

自分が貧乏だと気付いた出来事

自分の家が貧しいことに気がついた出来事

 

小学5年生の時、友達のkくんと遊んでいた時の

たわいもない会話。ここで一つ気付かされた

「好きな食べ物なに?」theな王道的な会話

アイドルのインタビューに必ずあるが対して目立たない質問

アンケート用紙やプロフィールに欠かせないがベタな質問

しかし、質問者と受け手は同じ人物で小5

ちなみにkくんは絶対に僕だけの意見だが、

中川のビートたけし、亀有の松本人志と心の中で称しているほど

面白い人なのだ、昔からからの面白さに惚れている、尊敬している

本当に楽しい自分だ、彼のおかげで自分の微かなユーモアセンスも磨かれたと思う。

彼は、タバコが原因で高校を中退して、

稼業でもあるサイディング屋、いわゆる壁関係の職人になって

高校生だった僕からしたら結構なお金を稼いでいた。いつも奢ってくれてた。

今ほど世の中がクソまじめになってなかった時代だからなのか、亀有という土地柄なのかは

知らないけど、高校生でも楽勝で居酒屋に入れたなぁ。

今でも変わらず?そこはわからないが

で、

高校を卒業するまで、毎日のように遊んでいた、大人になるまで

大人になってから彼とした会話に、

「もしお前が芸人やろって誘われてたらやってたかも」

かも の話なので真偽のほどは定かではないが

その言葉は嬉しかったし、実際に誘ってみようと思ったこともあった。

あの当時の調子に乗った勢いだけで行きていけたのだろうか?

社会に出るのと一緒で先輩や売れたヤツから鼻を折られていただろうか?

と、話は脱線したが、そんな彼の質問に対し、僕が答えたのは

お好み焼き」実に子供らしいではないか!と誰もが思っていただけるだろうが

利き手も子供、彼が僕の「お好み焼き」に対して言い放った言葉が

「やっすいもん好きだな」

基本僕は打たれ弱いので、当然のごとくショックを受けた傷ついた

ちなみに彼の好きな食べ物はステーキ

実に金持ちらしい答えだ

今になって思うと、彼の家もそこまで金持ちではないが

明らかにウチより金持ちということを当時の僕は悟った

俺は、やっすいもんが好きなのか!? 以降、「僕」は「俺」に変えます

ステーキ、俺、食ったことねぇぞ

食ったことないのが気づきの理由だろう。

ステーキがなんなのかは知っていた

外食なども年に数回レベルでステーキを生で見たこともなかったもしれない

ステーキなんて高級品、申し訳なくて頼めない。

あ、俺、家がビンボーだってもっと前に知っていた

ただ、貧乏という現実を突きつけられた衝撃でこのことを覚えているのだろう

その後、彼のお父さんの給料が80万円だと自慢げに言ってきたあとで

自分の親父の給料が20万だということを聞いて、なおさらショックを受けた

 

そして2つ目は、五十円のアイスと百円のアイスの件で

親父に怒られた時、

これも小5くらいの出来事で本当におぼろげな記憶だが、

その時の家の冷蔵庫には50円のアイスしかなくて

俺は100円のちょっと贅沢なアイスを食べたいと文句を言ってたと思う

その時の親父の返しが「いつでも買ってやるから今は家にあるヤツを食べろ」

といったニュアンスものだったが、

さらにその言葉に対して俺が、父の元を離れながら捨て台詞のように

「とか言って、いつも買ってくれないじゃん」的なことを吐き捨てたら

親父が「おいこら、今なんつった」とすごい剣幕で俺のもとに近づき

怒りに声が震えてた記憶があるが「お父さんだってな、100円のアイスくらい

いつでも買えるんだ、うちはそこまで貧乏じゃない」ってめちゃくちゃキレられた

こんなセリフを親父が言っちゃうって、やっぱ貧乏だったんだなーって

 

あと、未だにだが、うちにはチャイムがない

扉も木だし、ノックすれば家に響き渡るような家だったし・・・

それが、本当に恥ずかしかった

 

実家が恥ずかしいと思えてきたのは、社会に出てからですね

それまでは、近所もそんな感じだし、友達も同じような環境だったから

ベーシックだと思ってた。

だから俺は金への執着が強いのかもしれない

貧乏人じゃなくても誰でもそうか、

 

書いてて思い出した!

俺は小学一年生で貧乏だと気付いていた!

それは初めての万引きが小1だったからだ!

 

続きはどこかで!

 

 

思い出し作業は、哀しくなるが楽しい、

初心に戻してくれる

昨年の心の事故でなんか心が苦しい時が未だにあるが

文字を打ち込んでると夢中になれて忘れられる